ラプンツェル
ラプンツェル
誰が、あなたを
そらいろラプンツェル
夢を見ていたような気がする。
そんな曖昧な表現しか出来ないのは、彼の中で夢と現実の境界線が揺らぎかけているからだ。
現実逃避かと問われれば、きっと首を縦に振るのだろう。
とはいえ、刹那の夢幻に焦がれてしまう程、彼はまだ突き付けられた現実を拒んでいない。
他愛のない日常―何よりも尊い世界。その一部が、まだ、輪郭を失う事もせず、彼の為に唇を歪めているのだから。
「あ、やっと起きたー。」
今日も、明日も、ずっと、ずっと。
見慣れた姿は其処にはなく、けれど見慣れた色彩(イロ)は其処には在った。
自分とは違う、若葉を思わせる翠。愉悦を滲ませた双眸に、自分が知るあどけなさは残っていない。
はじまりは全て同じひとつであった自分達は、けれど選ばれ、目覚めた瞬間に『個』を与えられる。全く同じ姿形であろうとも、感情を持つ以上、違う存在として認識されるのだ。
ただ、自分を含めた数人は、誰が見ても解る違いが与えられているだけの話。
「おはよー。」
何時もと同じ、挨拶。
あの頃と変わらない、言葉。
ぱたぱたと小さな身体で駆けてきて、抱き付いてきて。
愛らしい笑顔で自分を呼ぶ。
それよりもずっと大人びた表情だったけれど、やはり今日も同じように。
おはよう、と返して、彼の頭を撫でる。
それが、変わらない日常の一つ。
……ああ、それなのに。
どうして、声が出ない?
それは、下手をすれば存在理由さえも揺らがせるというのに。
『音』を失った訳でも、『声』を壊した訳でもない。一つ一つ大切に刻み込んだ全ては確かにある。
けれど、どんなに頑張っても『言葉』が紡がれる事はなかった。
ただひたすらに、乾いた唇を震わせる。
「……どうしたの?」
何でもないよ、とも答えられず、心配を掛けないようにと首を横に振った。
「嘘ついちゃだめだよ?おれのこと怖いから、声が出ないんでしょ?」
違う。
怖くない。
どんなに否定しても、きっと彼には伝わらない。
「でもねー、おれは悪くないもん。」
無邪気な笑顔は、逆にあの頃には見えなかった歪ささえ感じさせる。
幼い姿の面影を残しながら、端正な顔立ちは猜疑もなく純粋な狂気を孕んで。
閉じ込めた彼に、囁く。
つくられたそれとは明らかに異なる、『声』と『音』で。
「おれだけ見てほしいのに。おれの声だけ聞いてほしいのに。」
頬を滑る指先は、あの頃自分に触れていたものよりも骨張って。
「ねぇ……?」
そのまま、流れるように自然な仕種で唇を塞がれる。
渇いたものを全て潤すみたいに、……餓えた獣のように?
このまま食べられるのだろうか、なんて愚考がふいに浮かぶ程に、もしかしたら異常が生じているのかもしれない。
離れていく瞬間に、軽く唇を舐められる。
思わず、肩が跳ね上がった。
合わせてしまった目線に頬を染めれば、何が面白いのか翠の瞳は細められて。
「きれーな瞳(め)。」
彼は何時だって、自分をそう褒める。
この色彩は自分だけのものではない、見渡せばたくさんいる。
それでも彼は、飽きる事もなく繰り返す。
「おれの大好きな、空の色。」
雲一つない青空の下、はしゃぐ子供を思い浮かべてみる。
綺麗な花に喜び、白いコートを泥だらけにして、危なっかしく木に登り、そこから見渡す景色に感動して。
彼には、本当によく似合う色だ。
「だからね、おれだけを見てて?大好きなその声で、おれだけを呼んで?」
それだけで、しあわせだから。
頬を包みこんでいたままの掌が、しなやかなラインを辿っていく。
ようやく出せたその『音』は、何の意味もなしていなかったけれど。
ラプンツェル
ラプンツェル
誰が、あなたを、閉じ込めた?
ラプンツェル
ラプンツェル
誰が、あなたを、愛したの?
光を失った王子様?
それとも……?
...結論。
やっぱり、無理。
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